2016年10月20日木曜日

母、がんになる その4

母が肺がん手術を受けてから約3か月後、9月26日に腫瘍マーカーの検査に付き添った。8月に父の狭心症の検査入院に付き添った際、病院のロビーにがん治療に関する資料が揃っていたので、緩和ケアの資料も含め自分用と母用にもらって帰った。その時、資料に目を通していて「5年後生存率」の数値については後で補足しておいた方がいいかな?と思ったものの、ついうっかりそのまま忘れてしまっていた。

父経由で資料を受け取った母は、肺がんの5年後生存率の低さを見て勝手に予後不良と決め込んでしまっていた(肺がんの場合、小細胞がんと非小細胞がんでは大幅に数値が違うのだが、両方合わせて算出しているためどうしても低くなってしまう)。検査に行く前日に実家に行くと、「もう覚悟は決めたから」とか「涼しくなったら遺影用の写真を撮りたい」とか言う。「食欲もないし、背中が痛いし、肺のあたりも痛いし、手術なんかせずに死んだ方が良かった」と愚痴をこぼし続ける。

実は、このちょっと前に入院保険の給付金を請求するために診断書をもらっていたのだが、その診断書に「進行性肺がん」と書いてあったらしく、それ以来激しく落ち込んでいた様子。父も「多分、診断書見て余計に落ち込んだんだろう」と他人事のように言っていた。腫瘍マーカーの検査を受けることに関しても、「先生がね、ちょっと気になるから腫瘍マーカーを見た方がいいって言ってた。なんか転移とかさ、そういうのじゃない?」という具合に事実と推測をごっちゃにして伝えるので、てっきり私も転移の可能性があるため腫瘍マーカーで確認するのだと思っていた。

検査後、主治医の説明を受けたときに「よかったですねー。異常ないですよー。痛みはね、人によっては1年くらい残る人いるからねー。背中の痛みは肺とは関係ないですよ。運動不足じゃないかな?と言われて、私はきょとーんとしてしまった。結局、原発性肺がん(腺がん)でステージIaという一番初期のステージだったらしく、腫瘍マーカーでも転移の兆候は見られないとのこと。術後約半年となる年末に脳のCTで脳への転移の有無を確かめ、転移がなければそれでおしまいらしい。要するに、ほぼ完治しているので健康そのものと言ってもいい状態なのだ。

「診断書に進行性肺がんって書いてあるのを見て落ち込んでいたようなんですけど」と主治医に言うと、「え?そうだったんですか?でも、肺がんって便宜上全部進行性なんですよ。それにしても浸潤性って書いたはずなんだけどなあ。ビックリさせちゃいましたね(テヘペロ)」と言われ、両親も私も脱力した。要するに、肺がんには子宮頸がんのような上皮内がんというものが存在せず、すべて浸潤性がんだということ。あくまでも分類上のネーミングなので、重要なのは小細胞がんであるかどうかと転移の有無らしい。母の場合、ごく初期の腺がん(非小細胞がん)だったので5年後生存率はかなり高くなるのだけれど、80歳の5年後生存率という観点で見ると、あまり高い数値は期待できないはずなのだが。

検査後、病院近くの天ぷら屋で昼食を済ませた。前日まで「食欲がない」と落ち込んでいた母は「あたし穴子がいい!穴子天丼!多分食べきれないから、あんたは少ないのにしなさい」と私の注文を変更させ、挙げ句、なす天一切れとほんの一口のご飯だけ残して「もう食べきれないからあげる」と言われた私は心の中で「ほとんど食ってんじゃん!朝もトースト食ってたじゃん!」と突っ込みを入れた。母は足が悪いので家から出ることは滅多になく、ほとんど歩かないのに1日3食きっちり食べているしビールだって飲む。

遺影用の写真の話がその後どうなったかは知らないが、つい先日母から電話がかかってきた。「あのね、お父さん肺がんかもしれないんだって。お父さんが先に死んだらどうしよう?」と電話口で泣かれた。父に電話を変わるといつものヘラヘラした口調で「この前レントゲン撮ったら、お母さんのがんよりちょっと大きな影が写っとった!」と言う。翌週、弟が付き添って大きな病院でCTを撮ったところ、2センチほどの腫瘍のような陰影がはっきりと写っているものの、肺炎の可能性もあるため気管支鏡による検査で確定するらしい。

ちなみに私は母から電話があった前日に健康診断を受けたのだが、乳がん検査で「要精密検査」となったので、来週は自分のがん検診に行くのだ。

我が家でがん保険に加入しているのは私だけだ。社会人になってすぐ「スーパーがん保険」を契約したのでちょっと安心している。